fieldwork in Canada

カナダの大学院で人類学を学んでいます

大学院開始まで夏を楽しむ

前回ビザ問題で9月始まりの修士プログラムに間に合わないかも…と半べそのブログを書きましたが、6ヶ月かかると政府の公式ホームページに書かれたプロセスがまさかの3週間で終わりすぐにビザ承認が降りました笑 無事に9月から大学院生になれるということでホッとしたのと同時に、1ヶ月以上ストレスでおかしくなりそうだった日々を返して欲しいです笑 でも今回学んだのは、自分のコントロール外のものに執着してもしょうがないので、自分がコントロールできる範囲のことに全力で取り組み集中する、ということですね…笑 なにわともあれ、無事に大学院に行けることの嬉しみを改めて感じています〜〜〜!!

 

9月からUniversity of British Columbia でAnthropology(文化人類学)を学びます!ずっといきたかった大学院なので受かったときは本当に信じられませんでした。私の場合はUBCでの指導教授がわたしのアプリケーションをかなり後押ししてくれたと思っていて、指導教授のサポートなしでは絶対に受かっていません笑 これからカナダの大学院にapplyしようとしている方には、一年前くらいからコンタクトを取りどんな研究がしたいのかなどを話し合っておくことと、可能であれば指導教授以外の教授で自分のcommittee member になってくれる教授を探し、コミュニケーションをとっておくことをお勧めします。留学生の場合は、大学外からの奨学金を取ることで大学院に受かりやすくもなるので、応募できる奨学金には応募して可能性をあげるのも大事なのかなと思います。でも最後は自分が行くと決めた大学院でどう工夫し輝くかなので、もしすべてがうまく行かなくても大丈夫だよ〜とも思います。私も大学院で学べるというありがたみを忘れずに本当に頑張ります。

 

学士卒業してからの1年間はアカデミックライティングやリーディングの本を読んだりしました。そうすると、学士の時に読んでおけばよかった〜〜というタメになるチップがたくさんあって、大学にいた時よりもアカデミックスキルがかなり上がったような気がします。また、この一年はカナダで過ごすことができたので日常会話でつかう英語もかなりブラッシュアップされたように感じます。大学の時はクラスのディスカッションが怖くて緊張してかなりてこずったのですが、いまならマシなんじゃないか?!と謎の自信があります笑 でもクラスの雰囲気はまた違うと思うので、心が折れることもなん度もあると思うのですが、その都度反省して挑戦するしかないよな〜の気持ちです。

そういえばこの前大学でお世話になった教授とご飯に行ったのですが、その時に教授が大学院ではjargonを使って頭良さそうな感じで話す人もいるかもしれないけど、そういうひとに圧倒されないで、学びの場なのだから間違えを恐れずに取り組めば大丈夫だよ、と言ってもらいました。せっかくの大学院後悔しないようにしたいです。

 

最近は9月に取るコースのひとつ、人類学の歴史とtheoryのクラスのシラバスが公開されたので少しずつ読んでいます。というのも、大学の時はあまりクラッシックな人類学の文章を読まなかったんですね。あまりtheoryに重きを置く教授が少なかったので人類学で有名なMalinowski、Boas、Levi-Straussなど、クラスで触れますが実際に彼ら/彼女らの本を読むことがなかったので、大学院に入ってから遅れないように今のうちに少しずつ頭に入れてるところです。DepartmentのChairの教授にもこのコースはたくさんの学生が苦労するコースだから読んでおきな〜と言われました。怖いです笑 やっぱり昔の本はすごい英語が取っ付きにくいんですけど、なかには面白い本もたくさんあるので休み休み楽しみながら読んでいます。こんど時間がある時にブログに書きたいです。

 

あとは日本から妹が遊びに来てくれました!家族がカナダに訪ねてくれることは初めてだったので嬉しかったです:) 私のパートナーが運転をしてくれて、みんなでロードトリップに行きました。私は初めてBC州の外に出たんですけど、街と街の間を走る間本当になにもなくて、カナダの大自然を感じました!カナダはほんとにでかいです笑 私の住んでいるところは夏でも30度いかないので本当に快適な最高の天気を享受しています〜〜

drumheller;恐竜がたくさん発掘されていることで有名な地

ロッキー山脈の入り口



 

 

避けては通れないビザ問題

9月から第一希望だった大学院で人類学を学ぶことが決まったのですが、ビザ申請に手こずり、進学先のimmigration advisor からビザ申請が間に合わなかったらoffer をdeffer することも検討した方がいいです、と先日言われてしまい鬱々と日々を過ごしています。

というのも学期が始まるまでまだ2ヶ月もあるのですが、今年のビザ申請は例年より時間がかかっているらしく通常なら余裕で申請される期間なのに、今年は間に合わないかもしれない、ということでした…

わたしは奨学金をいただけることになったのでそれの証明書などを手に入れられるまで時間がかかり、また進学先にビザについての問い合わせをしても返事が来るまで何日もかかったりしたことで、もろもろの手続きが遅れてしまいました。もし9月までに学生ビザが承認されなかったら、また1年入学を伸ばさなければいけないことになり、その際の奨学金が保証されるかもわからないし、こんなにも大学院を楽しみにしていたのにまた1年アカデミアから離れなければいけないのが辛いし、なんとしてでもビザ問題を解決したいのですが自分でどうにかできることでもないしでかなり落ち込んでいます。

いまできることは粛々と準備を進めること、大学院の勉強についていけるようにリーディングを進め、知識をつけること、自分の思い描いたとおりに行かなくてもそこで腐らずに自分がコントロールできることに集中すること、と思って耐えます。

野生の鹿がどこにでもいます かわいい

 

大学院進学決定しました〜〜

一年振り以上の投稿となってしまいました…卒業して日本で就職したのですが、会社内の人種差別的言動の多さと逆カルチャーショックにやられてしまい数ヶ月で退職して、カナダで通っていた大学の街でこの半年くらい働きながら大学院にアプライしていました。

そして先日いくつかの大学院からオファーレターをもらったので、9月から大学院に戻れることが正式に決定しました〜〜〜!ありがたいことに返済不要の奨学金もいただけることが決定したので資金の心配もする必要がなく、安心しています。私は海外大学生で大きな奨学金をもらっている人に羨望の気持ちがあったし、自分なんかがもらえるはずない、と思い込んでいたところがあったのですが、やってみないとわからないな、と思っています。これも生存者バイアスなのはわかっていますが、やっぱり応募しないとチャンスはゼロだし、自分にできることは全てやらないとな、とより一層気持ちを強くしました。

大学院に受かったこと、ほんとにほんとにほんとに嬉しいです。特にこの一年アカデミアから離れて、アカデミックな場所を本当に恋しく思っていました。仕事が休みの日などに論文を読んでなるべくアカデミックな脳みそから離れすぎないように頑張ろう、とは思っていたのですがやっぱり疲れていると集中もできないし、学んだことをシェアするクラスメイトは周りにいないしで、大学という場所のありがたみと、どれだけ大学という学びの場が好きなんだ、ということを再確認できました。この気持ちを忘れずに大学院の勉強に進みたいなと思います。

大学院へ出したリサーチプロポーザルでは、人に恋愛感情を抱かず、架空の人物に抱く、フィクトセクシュアリティーの人たちがどのような社会、文化的な要因に影響されているのか、セクュアリティーは必ずしも生物学的なものだけではなく、文化的な側面もあるのではないか、ということを中心に書きました。ただ、大学院のクラスで色々なリーディングや考えに触れることで違うトピックについても興味を惹かれることがあるだろうし、最終的な修士論文のトピックは変わっていくんだろうな〜と思っています。現に、いくつか興味のあるテーマがあります。ただ、人類文化学の中で、ジェンダーセクシュアリティー、フェミニズムを大きなテーマとして文化的な側面に焦点を当てていきたいのは間違い無いです。楽しみです〜〜〜〜。大学院行くまでにたくさん読んで知識を蓄えたいと思います。久しくアカデミックな英語を書いていないのでそこらへんも練習したいです。

 

とりあえずの短い報告でした!またブログ書けるようにがんばります

寒い中友達と山のてっぺんから街を見下ろしてきました

 

自分にかける言葉を大切にしたい

今日は英語を話すときに意識した方がいいなと思ったことと自信を持つことの大切さを自分自身への備忘録として書きたいな〜と思います。

 

大学4年目でカナダ生活は3年目なんですけどいまだに英語を話す時緊張したりします。友達と話すときは全然問題ないんですけど、ネイティブで初めて会う人やクラスで発言をしなきゃいけない時は自分の英語がジャッジされているような気分になってしまったり文法ミスやナチュラルじゃない単語に意識がいってしまったりして、いつも通り話せないことがあります!その度にいちいち落ち込んだり、次話すのが怖くなってしまったりして悩んでいたんですよね。それに加えて、自分は日本で生まれ育ったので基本的な文化への考え方の違いとか、カナダ人のジョークとかはっきりいうところとかに慣れなかったりして自分への自信がどんどん減っていく時期を過ごしたりしてました。やっぱりカナダにいると基本的な人権への考え方や文化の盗用、レイシズムルッキズム、LGBTQ+への考え方が日本で学んできた、または学ぶ機会がなかった自分とは違うことが多いので、大学生として日々専門分野を学んではいますが長年培ってきた土壌の厚みが違うなと感じて、馬鹿だったり教養がなかったり考えが浅いと思われるのが怖いなと思ったりしていたんですよね。誰しも間違えるし完璧に正しくはなれないし、そもそも何が”正しい”のか、ということについて議論をしなければいけないのに、です。でも、カナダ人の友達と話しているとみんな自信があるように発言したり見えたりしているけど、本当は自信がなかったりして、それでも自信があるように見せているんだな〜と本人には言わないですけどそう思うことがあります。

 

この前教授と話していて、私は日本人として、アジア人として、カナダ人からしたらユニークな意見や考え方をシェアできるポテンシャルがあるということを言われました。確かにクラスでのディスカッションで理解できない意見の時は私が日本人でクラスメイトと文化的バックグラウンド違うからなことが多いです。特に anthropology of museum のクラスではアジア系カナダ人の話についての授業が多いので自分がcontributeできることはあるんだろうなと思うんですけど、理解されない怖さもあるというか…そして私はアジア人ではありますが、アジア系カナダ人ではないのでアジア系カナダ人についての時に私が”アジア人”として話してしまうのも躊躇ってしまうし…でも、色々ぶつぶつ言ってしまいましたが、私が自分の意見に自信を持てないのは日本人だからではなくて、私だからです。私自身の何かがうまくいっていなくて発言することへの怖さが自分の意見を言いたい!という気持ちを抑えてしまっているというか…うう〜〜ん

 

そんなこんなを感じながらこの前クラスの一環でフィールドトリップに行ったときに急に自分に自信がなくなってしまってかなり落ち込んで、家に帰ってぼーっとしながら泣いてしまったんですよね〜。大人になったら泣くくらい悔しくなることって無くなるのかなーと思ったりしたこともありますが、私の場合なくなりませんでした!笑 いまだに悲しくなってかなり落ち込んだりよく泣いたりします。日本にずっといたらこんな悔しくなる経験もなかったのかなーとかは思ったりします。日本で生活していて、こんなに自分の意見に自信がなくなることってないんですよね。文化の理解があるし、言語能力もあるし、その文化の中で適切だと思われる振る舞い方も知っているし。でもカナダで私は三年目なわけで、言ってみたら赤ちゃんです。

 

その日は涙の気持ちのまま寝たんですけど、次の日朝起きてすぐ鏡を見ながら自分自身に明るい言葉をかけたんですね。文字にするとちょっとアホっぽいんですけど、自分はできる!よくやっている!すごい!素敵!My opinion matters! そんな言葉を鏡の中の自分に言い続けてたら、なんとなく明るい気分になってなぜか自分に自信も出てきて…嘘みたいなんですけど、本当なんです!笑

 

よく考えてみたら、自信がなかった時、自分自身に暗い言葉ばかりかけて、ネガティブな気持ちを内在化してしまっていたのかなーと思います。その日の夜友達と遊んだんですけど、初めましてのカナダ人がいても普通に話せたり自分の意見もしっかり言えたりして、一日でこんなに変わるの?!という初めての経験をしました。それから毎日自分自身にポジティブな言葉をかけています :) 

 

確かに英語力はまだまだ伸び代があると思うし満足はしていないんですが、基本的には話せるし問題なく使えているので自分に必要だったのって単純に自信だったんだな、と思います。自分の意見だって、自分の意見は価値のあるものだ、と思えれば発言するのも怖くないんですよね。そして、本当に自分の意見は価値のあるものだと思っています。こんなに毎日リーディングをしてインプットをして毎日考えているんだから、そこから出てきた自分の意見は大切にしたいし、自分で軽視?する必要はないなと思うようになりました。まだ100%自信満々か、と言われたらそうではないけど、だいぶ気持ちが楽になったし自信が持てるようになりました。なんか、ここまで来るのにだいぶ時間がかかったな〜という感じです。

 

去年までは海外大生活に疲れてきてしまっていて卒業後は日本に帰ろうかなーとぼんやり考えていたのですが、今年の夏に日本に帰りまたカナダで最終年を過ごしている間に、自分はもっとできる!という前向きな気持ちになってきて、今は大学卒業後はカナダで何年か働いてからカナダで大学院に行きたいと思っています。英語もまだまだ伸ばしていきたいし、英語で勉強もしていきたいです。人類学の中でも学びたいことはあるし学ぶことへのモチベーションはあるのであとは仕事を見つけなければ!という気持ちです笑 まだ全然仕事探しなどはしていないんですが年明けぐらいから動き始めたいなーと考えています。本当は大学卒業してすぐ大学院行きたいのですがお金も必要だし、大学院にアプライする準備も必要だと思うので好きなだけ時間をとりながら自分のペースで人生頑張ろうと思っています^^

 

皆さんも無理せずお元気で!

 

4年目秋セメのクラス

お久しぶりです。一ヶ月ほど前に大学生最後の1年が始まったのですが感傷に浸る間もなく課題の嵐に苦しんでいます!私の大学では卒論を書くためには the Honour's Program というものに登録しなければならないのですが、私は3年で転入したので単位の変換がうまくいかず、そのプログラムには入らないで the Directed Studies という、教授と一対一、または少人数の生徒と教授で自主的にトピックを決めて学んでいく、というコースに登録して卒業までに日本でいう卒論のようなものを書こうと思っています。自分の好きなトピックを学ぶのでこれがとても楽しくて、、、読みたい文献はたくさんあるのに自分のリーディングのスピードが遅くて全てを読むことはできなくてかなり悔しいです〜。でも、効率じゃなくてクォリティーだったり、自分が学んでいく過程を大切に、勉強している目的を見失わないようにしよう、と自分に言い聞かせています!

 

今学期とっているクラスの紹介と、一年かけて書く予定のリサーチペーパーの話を少ししたいと思います。

 

Anthropology of Museum

このクラスはタイトルの通り、ミュージアムの勉強をします。人類学はミュージアムと深い関わりがあるのですが、どちらも植民地時代に人種差別のレンズから生まれ発展したものなのでいかにdecolonize (=非植民地化)していくことができるのか、何をすべきか、すべきではないのか、ということを常に考えながら授業が進んでいます。教授が中華系カナダ人なのでアジアの移民の話などの割合が多く、今まであまり触れる機会が少なかったのですが、改めてアジア人差別の歴史といまだに続いている人種差別の話を聞いたり考えたりするのは苦しくなる時があります。が、知ることがはじめの一歩だと思うのでいつも積極的に参加するようにしています。Participation の割合が大きいので頑張って発言するようにしていますが、いまだにドキドキしながら話しています。。。

Anthropology of Health and Wellbeing

世界中の健康問題を扱う時、シンプルに”病気の問題”として見てしまうことが多いと思うのですが、人類学では病気の問題だけではなく、どうして起こってしまうのか、なぜ改善されないのか、何をしていくべきなのか、ということを科学だけではなく文化的な目線から解決の糸口を探していことの大切さを学んでいます。病に対しての科学的な治療法だけ提案しても、それだけでは根本的な解決にならないことが多いです。その土地の宗教が根深く関わっていたり、慣習によって広まり続ける場合、相手の文化を尊重しながらもどうしたら人々の健康を持続することができるようになるのか、ということを考えています。ファイナルペーパーのトピックに悩んでいるのですが、カナダでは閉経や更年期が病気として扱われているが日本では人生の一部として認識されている、というケーススタディーを教授がクラスで簡単に紹介していて、面白そうだな、、、と思っています。まず、カナダで閉経がどのように扱われているのか具体的に調べてみて、日本と大きな違いが本当にあるのか調べて見たいと思います。教授の話では、カナダでは閉経に抗うためにホルモン治療をするなど言っていたのですが、あまり自分に身近な経験ではなかったのでよく調べてみたいです。

 

Anthropology of Kinship

前セメで男女二元論に反対するマニフェストを書いてから、生物学的なつながりから離れた人間関係や家族関係について勉強したい!と思い始めるようになったので、このクラスがオファーされると決まった時喜びで心臓がバクバクしました笑 リーディングが重くて大変なんですがかなり好きなクラスです。教授が、人類学は真実だと信られている社会規範を疑ってかかる学問だ、と言っていて、本当に!そうだと思います!!!私が人類学を好きな理由って、『普通』だと思われていることを、本当にそうなのかな?と質問を投げかけて、この世に『普通』なんてないんじゃない?と思わせてくれるからです。実際、この世に『普通』で『自然』なんてものはなくて、人間が考えているイデオロジーによって作り出されているんですよね。もちろんサイエンスや生物学は存在しますし論理的に成立していますが、そのサイエンスを生み出しているのも使っているのも、人間なんですよね。そこには必ず人間のバイアスが含まれていて、必ずしも絶対的なものではないと思います。

コースの全体的なテーマは Nature vs Culture なんですけど、natureとcultureは完全い切り離すことはできない、というのをいろんな角度から学んでいます。性別や結婚、養子縁組や体外受精代理出産についてのリーディングを最近はしています。カナダでは代理出産が認められているんですが、養子縁組ではなく代理出産を選んで自分たちの遺伝子を残したいと思うのはなぜなのか、どうして生物学的な関わりにこだわりを持っている人が多いのか、色々考えています。

 

Directed Studies: Asexuality

これは通常のクラスではなくて、gender studies 専攻か副専攻の生徒が取れるのですが、私と私の友達と教授の三人でリーディングや課題について決めてセメスターかけて学んでいくコースです。自分でリーディングしたりコースの内容に沿う範囲だったらアセクシャリティについてのペーパーを書いていたりしたんですけ、去年くらいからもっと専門的に学びたいなと思っていたトピックだったのでこのコースが受けられると聞いたときは嬉しかったです、、、

まだしっかりと決まってないのですがファイナルペーパーではセックスに重きを置かない親密な関係、または結婚について書きたいな〜とぼんやり思っています。恋愛関係や結婚が友人関係より価値のあるものだという社会規範ってどうしてなんだろう、というのを長いこと考えていて、それって政府が婚姻関係を結んだ人たち、子供を産んだ人たちに特定の権利やサポートを与えているというのも一つの理由だと思うんです。政府機関から認められている関係、ということで。そして政府が出産を促進しようとするのは人口が必要だからです。人々が働かないと経済が悪化してしまうので。でも、世界的には人口は増え続けているので移民の受け入れをするだけではなくて、移民の人たちが住みやすいシステムと環境を整える必要があるのですが、日本政府はそこにしっかりとした対策や改善をしていないと思います。また、結婚関係の話に戻りますが、”セックスレス”という言葉あるように、セックスをしないカップルは”うまくいっていない証だ”という風潮がありますが本当にそうなんでしょうか?どうして性欲と恋愛感情が同一視されているんでしょうか?…という感じのアイデアはたくさんあるのですが見ての通り全くまとまっていないので明日オフィスアワーに行って相談してみる予定です。難しいんですけど、楽しみです!

次の春学期に同じasexualityをテーマに人類学部のなかで the directed studies を教授と一対一でする予定なので、そこで人類学的なアプローチで私なりの卒論、または大学院出願できるレベルのペーパーを書けるようにしたいと思っています!もう少し考えがまとまったらブログ書く予定です。

 

Directed Studies: Beauty Standards

こちらは人類学部で取っている directed studies になります!初めは全然ちがうトピックをやる予定だったのですが教授の勧めで美、主に美容整形やボディーイメージについて勉強しています。人類学ではautoethnographyという論文の書き方があるのですが、今回はその手法でファイナルペーパーを書くことに決まりました。

Autoethnography is a form of ethnographic research in which a researcher connects personal experiences to wider cultural, political, and social meanings and understandings.

Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Autoethnography

これはWikipediaの定義ですが、人類文化学での主な手法である調査対象のコミュニティーに実際に住んでみて自分が感じたものや自分の文化的バックグラウンドからの直接・間接的な解釈でそのコミュニティーについて学び記録をすることをエソノグラフィーといい、オートエソノグラフィーは自分の記録を元に先行研究などを照らし合わせ書いていく手法のことです。説明が難しくてすみません…ジェンダー学や人類学ではよく使われている手法です。

私の場合は自分自身の記憶や感情、経験してきたことをもとに、先行研究を読んで解釈や意味を見つけ、意味を見出し、ファイナルペーパーを書いていきます。私はカナダに来てから化粧をほぼしないくなり、外見についてのネガティブな気持ちが減ったな〜と思うようになりました。それは日本で間接的に感じていた美のプレッシャーや社会規範から解放されていることでもあるのですが、それと同時に”日本人留学生”という雑な言葉で言うと部外者である、と言うフィルターがあるのでローカルの人が感じている社会規範を感じていない可能性もあるのだろうなと思います。日本にいた時と比べて女性としての抑圧を感じることは少ないですが、アジア人としての抑圧だったりラベルで見られることに対しての心地の悪さはあったりします( = Racialization)。 日本の美だけでなく西洋からの影響だったり、自分自身が海外に住んでいる経験、マイノリティーの人種として生きる経験、日本との比較など色々な要素を考えながら書いている途中です。

自分はあまり美容に興味がないので、コースの初めは美について考えるのは向いてないんじゃないかとか、楽しめないのではないか、とか考えていたのですが文献を読み込むうちに感じていたけど言語化されていなかった感情たちに触れるようになって、最近はワクワクしながら取り組んでいます!大学にいて何が楽しいかって、今まで自分になかった考え方に出会ったり、感じていたけど言語化できていなかったり、脳みそからアドレナリンが出ているような文献やディスカッションに触れられている時なんですよね。楽しんで学べていること、学べる環境にいることを感謝しながら今学期も頑張りたいと思います :)

 

 

 

 

 

この前友達といい人(nice)じゃなくて優しい人(kind)でありたいよね、という話をしていて、それは私は女としてこの社会で愛想良くいい人であることを求められてきたからであって、でも大学で学ぶようになって、自分はここ2年くらい笑えないジョークやセクハラを笑って受け流すことを意識的にやめよう、と頑張っていたんです。でもかなり難しいんですよね。受け流すことが染み付いていて、それが処世術で、愛想が悪いっていわれるのも怖いし。でもそれが実際にできた時、自分が笑い流さずにNOと言える時、自分自身の優位性も自覚をしていて、だから友達や全ての人に同じことをしろと言うつもりは全くなくて、受け流すしかなかった自分もいたし、受け流すしかない状況にいる友達もいるし、だからこれは自分の話なんですけど。優しさを持ったまま、笑えないものには笑わず、それはいわゆる愛想の良いいい人ではなくなるかもしれないんですけど、でも自分が今まで笑うしかなかったものにNOと言えること、セクハラや悪意のあるジョークを誰が、誰に言ってもNOということでもしかしたら周りの人の荷物が少しだけ軽くなるかもしれないし、昔NOと言えなかった自分の悔しい気持ちも間接的に救っているんだろうな、と話してて思いました。忘れたくないな〜と思ったので残します。

 

 

 

 

 

カナダはだいぶ寒くなってきました!みなさんお元気で :)

 

 

ジェンダーバイナリーを燃やすマニフェスト

とっても久しぶりのブログになってしまいました…編入して二学期目ですが知り合いも増えて大学自体に慣れてきた感じがします。大学についての話もしたいんですけど、今日は5つ取っているうちの1つのクラスについて書きたいと思います!

 

Feminism Geography

私はジェンダー学をマイナー(副専攻)に決めたのですが、このクラスはGeography科で提供されているジェンダーのクラスです。セミナー形式で、週2回あるクラスの内1回は生徒がファシリテーターとしてクラスに質問を投げかけたり、ワークショップをしたりしています。セミナー形式に最初は怖気付いていたのですが、より丁寧にリーディングをするようになったし、クラスメイトの話を聞くのも本当に面白くてこのクラスを取ってよかったな〜と思っています。

 

コースの初めの方で論文引用(Citation)についての論文を読みました。アクセスがある人のために共有します!

Motto, Carrie and Cockyane Daniel. "Citation Matters: Movilizing the Politics of Citation toward a Practice of 'Conscientious Engagement.'" Gender, Place & Culture 24(7): 9854-973. 

この論文は、引用の仕方によっては不平等を再生産し続けることになる、というあまり話されてこなかったことについて問題提起しています。例えば、Geographyは伝統的に西洋の考えが主なセオリーでその他の考え方(アジア、アフリカなどの西洋以外の場所で行われてきたgeography)は軽くみられることが多い、という歴史があります。このような分野では白人のシス男性が権威を持つポジションに立つことが多くて、その白人シス男性研究者を引用し続けることによって、特権(Previlege)の少ない女性や、白人以外の研究者が引き続き周縁化(marginalized)される事になります。書いた論文が引用されなければ、研究者として名が売れずにその後のキャリアに響きます。このサイクルが半永久的に最も特権のあるとされる白人シス男性研究者を社会的に優位な場所に立たせ続け、もともと特権の少ない人が半永久的に周縁化され続ける事になります。

これって、本当にそうなんです!!!論文を探すのって本当に大変だと思うんですけど、より引用されている論文の方が検索の上位に来たり、引用数が可視化されるので、引用数が多いイコール質の良い評価されたもの、と考えてしまいがちなのですよね。でも、もう少し時間をとって、引用する前に作者のバックグラウンドについて調べてもっと自覚的に引用していかなきゃいけないな…と強く思いました。人類学の論文を読む時って、作者がどの文化に慣れ親しんでいるのか、というのが他の文化を観察するときに大きく影響を与えると思うので作者についてリサーチしたりするんですけど、分野によっては全く注意しない時もあったので本当に反省しました…私たちができることって少ないかもしれないけれど、こういう小さいことに注意して、自覚的にひとつづつ決定していくことが大切なんだと思います。

 

私も学術論文に重きを置きがちになっているのですが、”研究者”以外の声も研究の中に反映されるべきなのではないか、という話もしました。人類学・ジェンダー学では学術論文以外もよく読みます。例えば、現地の人の間で伝わる昔話や御伽噺から見えてくることもたくさんありますし、ジェンダー学は当事者の声を大切にしている学問でもあるからだと思います。ただ、地学や心理学専攻のクラスメイトは、学術論文以外を課題のエッセイに使ったら点数を引かれると思う、と言っていました。私も心理学のイントロコースは取った事があるのですが、確かに”西洋の”研究や実験がベースとなっているので、いわゆるプロフェッショナルではない人の意見は反映されないだろうな、と思います。一口に大学の授業といっても分野によっていろんな傾向があるし、それこそ勉強する国によっても全然違うんだろうな、と思いました。

 

なんでこの引用の論文について話したかというと、このクラスでの課題がマニフェスト(manifesto)を書くことだからです!正直マニフェストを説明するのが本当に難しいなと思っていて…。私たちのグループがたどり着いた定義では、マニフェストではアカデミックではなく、秩序も順序もないような怒りの文章で何かを壊すエッセイ塊のことを指します。4人のグループで書くのですが、なるべく今までやってきたアカデミック形式をなぞらずに、私たちが壊していきたいもの、について書くという課題です。私のグループはジェンダーバイナリー(人間の性は男女の二つしかなく、生物学的に定められている、という考えのこと)を燃やし尽くそう!というテーマでZineを作る事にしました!論文も引用しますがポッドキャストYoutube、ブログや自分たちのパーソナルな話を織り交ぜながら書いているところです。これが、本当に難しくて…何が難しいのかもわからないんですけど、パーソナルすぎると客観性がない気がしてしまうんですが、 "Personal is political" (個人の問題は社会の問題)という気持ちで書き進めよう、と頑張っているところです。

 

私はカナダで勉強するまで触れたことがなかったものなのですが、ジェンダーって社会と人間が”作り出した”ものであり、普遍的でも、絶対的でも、生物学的でもないんですよね。男と女の二つにわけられるものではなくて、もっとごちゃごちゃでまとまりのないものが利便性や簡易性のために二つにわけられて、それを再生産し続けた結果、今の男女二元論が存在してると思います。だけど、ジェンダーってもっと流動的で、人生の中でいろんなカテゴリーを行き来する人もいるし、人生のあるポイントで性が変わる人もいます。

 

男女二元論って、資本主義社会ではとても便利なコンセプトなんですよね。女性を男性よりも下のポジションに置く事によって、男性の”外の世界”での仕事を可能にし、人間や家事の再生産(reproduction)は女性が担う。資本主義は、資本主義者のために働く人がいなければ成立しなくて、それを成立させるために女性は子供を産み育てるシステムが構築されて、人口の安定によって資本主義が成り立つ。(だから現在の日本政府はどうにかして人口増加をさせようと躍起になっているのだと思います。世界的にみたら人口は増え過ぎていると言われているのに…)でも、ここで大切なのは男性、女性と個人の差別や責任にフォーカスしすぎるのではなく、”構造的な”差別について考えていくことだと思います。

 

少し脱線しましたが、マニフェストで私はアセクシュアルやノン・モノガミー(一対一ではない関係のこと)を中心とした、ヘテロセクシュアルノーマティビティーを燃やし、男女二元論を壊せるように文章を書いていこうかなと思っています。本当に難しくて苦労しています!!!

 

今まであまりグループワークをした事がなくてとても不安だったんですが幸い人に恵まれて平和に課題を進めています。何よりその人たちの意見を聞けるのが本当に楽しいです。私は思考が散らかりがちで常に自分で色々考えが止まらないタイプなのですが、人と意見交換できるって本当に脳みそ活性化する感じがするし、新たな視点を分けてもらえることもあって学術的意欲がとても刺激されて楽しいです。一生勉強だけして生きていきたい〜〜〜〜の気持ちになってしまいます…。あと、社会問題に押しつぶされそうになったときに、同じように個人レベルで戦っている人がいる、というのを感じられるのもいいな、と思いました。だから私も自分が何を考えて、何が嫌で何と戦っているのかっていうのをブログでスローペースでも良いから書いていこうと思いました。

 

去年取ったフェミニズムのクラスで、自分の考えを発信して共有できるコミュニティーの大切さを学んだんですね。今まではあまり人と話してこなかったし、共有することの怖さがあったんですけど、押しつぶされそうになりながらも抵抗しているのは自分だけじゃない、と感じることで楽になる気持ちがたくさんありました。もちろん、話すことに抵抗がある人はそれをシェアする必要はないと思うのですが、私は私なりにできることを、友達を話し始めることからやっていきたいなと思っています。

 

たまに、自分がジェンダーについて関心がありすぎることに不安を感じてしまうのですが、学ぶ事で知識が自分を守る武器と盾になると思うので、学び続けたいなと思います。自分を守ることもできるし、もしかしたら他人の痛みを少しだけ減らすこともできるかもしれないので、学び続けたいです。多分これが私の人生のテーマかもしれません、考え続け、学び続ける。

 

 

 

この一週間は二ヶ月ぶりくらいにすっきりとした気持ちで過ごす事ができているので調子がいいです!笑 勉強していると鬱になることもよくありますが、いい成績のためではなくて、自分の内在的な学術意欲のために学んでいる、ということ、勉強は楽しい、ということを忘れずに頑張りたいと思います!それではまた〜!

 

 

マスメディアから見えること

こんにちは。

夏のサマーコースも来週で終わりなのですが、本当にあっという間でした。まだ課題とテストがあるので気は抜けませんが今年のサマークラスはなぜかそんなに厳しくなく、課題以外の文献読みなどを楽しむ余裕まであります笑。インドアすぎて論文読みが趣味になってきました笑。ただ、いくつかの課題の期限が迫っているので今週はじっくりエッセイに向き合う予定です。

 

サマーコースでは社会学のイントロと Women in Pop Culture というクラスをとっているので、クラス内でマスメディアについて話すことが多いです。まず、マスメディアとはテクノロジーベースのコミュニケーション手段のことを指すのですが、大きく分かれて三つあります。インターネット、紙媒体 (Print Medium)、そして電波媒体 (Broadcast Medium)です。

 

クラスでは様々な広告を見て、それらの表現方法にどんな問題があるのかを話したりするのですが、一体どれくらいの人がクリティカルな思考を持って広告を見ているのかとても気になりました。大半の人はマスメディアや広告が私たちに与える影響力やイデオロジーについてあまり考えないのではないのかと思ってしまいます。また、それらの影響力を軽視している傾向があるような気がします。もしくは影響力についてあまり考えないのかもしれません。私も気がつかないうちにマスメディアに踊らされていると思いますし、現代には広告が溢れかえっており、一つ一つに意識を向けるのは大変だと感じます。

 

 

先日見かけたニュースで「月曜日のたわわ」という青年向け漫画が日経新聞の広告に載ったというのを知りました。性的に胸を強調した姿で描かれた女子高生が会社員の男性を”元気付ける”というテーマで描かれた漫画です。ネットでは表現の自由を支持する人と女性の性的消費に反対する人とで荒れていたようです。私も無料お試しぶんを試し読みしたのですが、内容はアウトだと思いました。少なくとも全年齢の人が見れるべきコンテンツではないと思います。

 

表現の自由を求める人たちのコメントの中に「漫画はフィクションなのに、現実との区別もできないのか。フィクションの中で楽しむ分にはいいじゃないか。」といった趣旨の意見をよく目にしました。私はこれに引っかかり、ずっと考えています。

確かに、漫画はフィクションです。現実世界のものではありません。ただ、私たちの現実世界がどれくらいフィクションという名の広告やイデオロジーに影響されているのか、というのを軽視しすぎではないかと思います。

 

こうなると日本の制服/未成年への性的嗜好や”女子高生ブランド”という言葉がどうして広まってしまったのかというのが気になってしまい、いくつかの論文を読みました。文献によると、女子高生の制服をブランドとしてみる傾向が始まったのはそんなに昔のことでもなく、1980年代からのようです。1985年に森信之さんが「東京女子校制服図鑑」を出版したのが一つのきっかけだと言われています。色々な女子高生の制服の写真とその高校の場所がマップに詳細に書かれているようです。どんな意図で出版されたのかわかりませんが、なんとなく気味が悪いなと思ってしまいました。その後テレビで女子高生がクローズアップされるようになり、街中で一般の女子高生のカバンの中身を紹介したり、制服を至近距離で撮影した動画をテレビで放送したりし、女子高生をコンテンツとして消費するようになったようです。ここでわかってもらえるかもしれませんが、女子高生制服ブームも一種のマスメディア(この場合紙媒体の本、そして電波媒体へと)から始まっています。私たちが何を良いと思って、何が欲しいと感じ、何をコンテンツとして消費するのかは気がつかないうちに、それでも確実に操作(影響)されています。

 

人類学のクラスでもよく話されるのですが、何を性的消費の対象にするかは人類一律ではなく社会的に、文化的に決定されています(もちろん文化の中に個人差はあります)。生物学ではないんですよね。ということで、日本特有の”女子高生を性的対象として消費する”のは”文化”です。文字にすると怖いですね。

 

この「月曜日のたわわ」という漫画では内容も問題ですが、女子高生を性的に消費し男性の日々の活力にする、というテーマの漫画が日経新聞という大きな媒体で広告として扱われたというのも問題だったのではないかと思います。何をプロモートするのかよく考えなくてはいけなかったと思います。また、このような漫画が”普通に”存在することが日本社会の女性の立場の低さをよく表しているなと思います。広告は一定の思想を植え付ける方法にもなり得ますが、どんなイデオロジーが社会に支持されているのか、マジョリティーの人間がどんな考えをよしとしているのか、というのをみる指標にもなり得ます。それくらい広告は人々の思想への影響力があるんですよね。

 

じゃあ、表現の自由はどうなるんだ、という人がたくさんいると思います。表現の自由についてはとても難しい問題です。ただ、表現の自由というの名の下になにが許されるのか、というのはその社会をよく反映していて面白いと思います。

 

下の広告は Love Cosmetics が1976年に出した広告です。

1976 Love Cosmetics ad in Seventeen magazine

Sutori

"innocence is sexier than you think"(純粋さ、無垢さはあなたが思っているよりもセクシーだ)という一文が載せられています。日本語でニュアンスが伝わるか難しいのですが、”純粋”な”少女”を”性”の対象として見ることが許される前提でこの広告は作られています。今、北米の化粧品会社がこの一文とともにテディベアを持った少女が性的に消費されることを促す広告を出したら完全に批判されると思います。ということは、マジョリティーの人が「この広告はモラルに反している、未成年の子を性的に消費することは間違っている」という考えを持っているということです。

 

広告自体は全く違いますが、「月曜日のたわわ」は胸を強調されるように描かれた未成年の女子高生が成人男性を元気づけるためにその人に胸を押し付けたりする描写がある漫画です。日本でどれくらいの人が「未成年の人を性的消費の対象にしてはならない」という考えを持った人がいるのか、そのような考えを受け入れる広告を認める人の多さから見えてくるのではないのでしょうか。人権問題について改善を求めるのなら、何が広告として許されるのかは取り締まられていくべきだと思います。また、表現の自由とそれを広告として扱い促進するのは別問題です。ただ、何が適切で何が不適切なのかは社会によるのできちんと考えていかなければならないと思います。

 

 

これは余談なのですが、この前カナダ人の友達と話しているときに私の出身の国の話になり、日本出身だよと伝えたら、日本に行ってみたいけど、日本の未成年に対するフェティシズム性的嗜好)ってやばいらしいじゃん…だから怖いんだよね…と言われ、図星すぎて何も言えませんでした。

もう一つ興味深かったのが違う友達が、20歳が未成年と仲良く遊ぶのは社会的にだめ思うけど、同じ歳の差でも20歳と24歳で精神年齢が合うなら年齢の壁は何も感じないしフラットな友達として接する、と言っていたことです。性的消費だけでなく、成人が未成年と遊ぶことに対しても日本より厳しい考えがあるように感じました。カナダが優れている、というのを言いたいわけではなく、ただ未成年に対しての保護、そして意識がしっかりしているなと感じました。

 

色々考えすぎると鬱になるのですが笑、社会学の教授が暗いニュースを見た後はポジティブなニュースをみるといいよと言っていたのでそうすることにします。ニュースから距離を置くことも大事ですが、目を背け続けるわけにはいかないので自分でコントロールできるように練習したいと思います。

 

 

今日はなんだか物議を醸しそうなトピックについて書いてしまいましたが、自分の意見を持つのは大事だと思うので投稿します!ではまた!

 

Works Cited,

Kinsella Sharon. 2015. "What's Behind the Fetishism of Japanese School Uniforms?" Fashion Theory: The Journal of Dress, Body and Culture, 6(2): 215-237.

 

Sutori. "Hypersexualization." 

https://www.sutori.com/en/story/hypersexualization--YcUbsUe25HwfQBZVtGH8q1Ch.