日々の記録

カナダの大学で人類学を中心に学んでいます

ジェンダーバイナリーを燃やすマニフェスト

とっても久しぶりのブログになってしまいました…編入して二学期目ですが知り合いも増えて大学自体に慣れてきた感じがします。大学についての話もしたいんですけど、今日は5つ取っているうちの1つのクラスについて書きたいと思います!

 

Feminism Geography

私はジェンダー学をマイナー(副専攻)に決めたのですが、このクラスはGeography科で提供されているジェンダーのクラスです。セミナー形式で、週2回あるクラスの内1回は生徒がファシリテーターとしてクラスに質問を投げかけたり、ワークショップをしたりしています。セミナー形式に最初は怖気付いていたのですが、より丁寧にリーディングをするようになったし、クラスメイトの話を聞くのも本当に面白くてこのクラスを取ってよかったな〜と思っています。

 

コースの初めの方で論文引用(Citation)についての論文を読みました。アクセスがある人のために共有します!

Motto, Carrie and Cockyane Daniel. "Citation Matters: Movilizing the Politics of Citation toward a Practice of 'Conscientious Engagement.'" Gender, Place & Culture 24(7): 9854-973. 

この論文は、引用の仕方によっては不平等を再生産し続けることになる、というあまり話されてこなかったことについて問題提起しています。例えば、Geographyは伝統的に西洋の考えが主なセオリーでその他の考え方(アジア、アフリカなどの西洋以外の場所で行われてきたgeography)は軽くみられることが多い、という歴史があります。このような分野では白人のシス男性が権威を持つポジションに立つことが多くて、その白人シス男性研究者を引用し続けることによって、特権(Previlege)の少ない女性や、白人以外の研究者が引き続き周縁化(marginalized)される事になります。書いた論文が引用されなければ、研究者として名が売れずにその後のキャリアに響きます。このサイクルが半永久的に最も特権のあるとされる白人シス男性研究者を社会的に優位な場所に立たせ続け、もともと特権の少ない人が半永久的に周縁化され続ける事になります。

これって、本当にそうなんです!!!論文を探すのって本当に大変だと思うんですけど、より引用されている論文の方が検索の上位に来たり、引用数が可視化されるので、引用数が多いイコール質の良い評価されたもの、と考えてしまいがちなのですよね。でも、もう少し時間をとって、引用する前に作者のバックグラウンドについて調べてもっと自覚的に引用していかなきゃいけないな…と強く思いました。人類学の論文を読む時って、作者がどの文化に慣れ親しんでいるのか、というのが他の文化を観察するときに大きく影響を与えると思うので作者についてリサーチしたりするんですけど、分野によっては全く注意しない時もあったので本当に反省しました…私たちができることって少ないかもしれないけれど、こういう小さいことに注意して、自覚的にひとつづつ決定していくことが大切なんだと思います。

 

私も学術論文に重きを置きがちになっているのですが、”研究者”以外の声も研究の中に反映されるべきなのではないか、という話もしました。人類学・ジェンダー学では学術論文以外もよく読みます。例えば、現地の人の間で伝わる昔話や御伽噺から見えてくることもたくさんありますし、ジェンダー学は当事者の声を大切にしている学問でもあるからだと思います。ただ、地学や心理学専攻のクラスメイトは、学術論文以外を課題のエッセイに使ったら点数を引かれると思う、と言っていました。私も心理学のイントロコースは取った事があるのですが、確かに”西洋の”研究や実験がベースとなっているので、いわゆるプロフェッショナルではない人の意見は反映されないだろうな、と思います。一口に大学の授業といっても分野によっていろんな傾向があるし、それこそ勉強する国によっても全然違うんだろうな、と思いました。

 

なんでこの引用の論文について話したかというと、このクラスでの課題がマニフェスト(manifesto)を書くことだからです!正直マニフェストを説明するのが本当に難しいなと思っていて…。私たちのグループがたどり着いた定義では、マニフェストではアカデミックではなく、秩序も順序もないような怒りの文章で何かを壊すエッセイ塊のことを指します。4人のグループで書くのですが、なるべく今までやってきたアカデミック形式をなぞらずに、私たちが壊していきたいもの、について書くという課題です。私のグループはジェンダーバイナリー(人間の性は男女の二つしかなく、生物学的に定められている、という考えのこと)を燃やし尽くそう!というテーマでZineを作る事にしました!論文も引用しますがポッドキャストYoutube、ブログや自分たちのパーソナルな話を織り交ぜながら書いているところです。これが、本当に難しくて…何が難しいのかもわからないんですけど、パーソナルすぎると客観性がない気がしてしまうんですが、 "Personal is political" (個人の問題は社会の問題)という気持ちで書き進めよう、と頑張っているところです。

 

私はカナダで勉強するまで触れたことがなかったものなのですが、ジェンダーって社会と人間が”作り出した”ものであり、普遍的でも、絶対的でも、生物学的でもないんですよね。男と女の二つにわけられるものではなくて、もっとごちゃごちゃでまとまりのないものが利便性や簡易性のために二つにわけられて、それを再生産し続けた結果、今の男女二元論が存在してると思います。だけど、ジェンダーってもっと流動的で、人生の中でいろんなカテゴリーを行き来する人もいるし、人生のあるポイントで性が変わる人もいます。

 

男女二元論って、資本主義社会ではとても便利なコンセプトなんですよね。女性を男性よりも下のポジションに置く事によって、男性の”外の世界”での仕事を可能にし、人間や家事の再生産(reproduction)は女性が担う。資本主義は、資本主義者のために働く人がいなければ成立しなくて、それを成立させるために女性は子供を産み育てるシステムが構築されて、人口の安定によって資本主義が成り立つ。(だから現在の日本政府はどうにかして人口増加をさせようと躍起になっているのだと思います。世界的にみたら人口は増え過ぎていると言われているのに…)でも、ここで大切なのは男性、女性と個人の差別や責任にフォーカスしすぎるのではなく、”構造的な”差別について考えていくことだと思います。

 

少し脱線しましたが、マニフェストで私はアセクシュアルやノン・モノガミー(一対一ではない関係のこと)を中心とした、ヘテロセクシュアルノーマティビティーを燃やし、男女二元論を壊せるように文章を書いていこうかなと思っています。本当に難しくて苦労しています!!!

 

今まであまりグループワークをした事がなくてとても不安だったんですが幸い人に恵まれて平和に課題を進めています。何よりその人たちの意見を聞けるのが本当に楽しいです。私は思考が散らかりがちで常に自分で色々考えが止まらないタイプなのですが、人と意見交換できるって本当に脳みそ活性化する感じがするし、新たな視点を分けてもらえることもあって学術的意欲がとても刺激されて楽しいです。一生勉強だけして生きていきたい〜〜〜〜の気持ちになってしまいます…。あと、社会問題に押しつぶされそうになったときに、同じように個人レベルで戦っている人がいる、というのを感じられるのもいいな、と思いました。だから私も自分が何を考えて、何が嫌で何と戦っているのかっていうのをブログでスローペースでも良いから書いていこうと思いました。

 

去年取ったフェミニズムのクラスで、自分の考えを発信して共有できるコミュニティーの大切さを学んだんですね。今まではあまり人と話してこなかったし、共有することの怖さがあったんですけど、押しつぶされそうになりながらも抵抗しているのは自分だけじゃない、と感じることで楽になる気持ちがたくさんありました。もちろん、話すことに抵抗がある人はそれをシェアする必要はないと思うのですが、私は私なりにできることを、友達を話し始めることからやっていきたいなと思っています。

 

たまに、自分がジェンダーについて関心がありすぎることに不安を感じてしまうのですが、学ぶ事で知識が自分を守る武器と盾になると思うので、学び続けたいなと思います。自分を守ることもできるし、もしかしたら他人の痛みを少しだけ減らすこともできるかもしれないので、学び続けたいです。多分これが私の人生のテーマかもしれません、考え続け、学び続ける。

 

 

 

この一週間は二ヶ月ぶりくらいにすっきりとした気持ちで過ごす事ができているので調子がいいです!笑 勉強していると鬱になることもよくありますが、いい成績のためではなくて、自分の内在的な学術意欲のために学んでいる、ということ、勉強は楽しい、ということを忘れずに頑張りたいと思います!それではまた〜!