日々の記録

カナダの大学で人類学を中心に学んでいます

4年目秋セメのクラス

お久しぶりです。一ヶ月ほど前に大学生最後の1年が始まったのですが感傷に浸る間もなく課題の嵐に苦しんでいます!私の大学では卒論を書くためには the Honour's Program というものに登録しなければならないのですが、私は3年で転入したので単位の変換がうまくいかず、そのプログラムには入らないで the Directed Studies という、教授と一対一、または少人数の生徒と教授で自主的にトピックを決めて学んでいく、というコースに登録して卒業までに日本でいう卒論のようなものを書こうと思っています。自分の好きなトピックを学ぶのでこれがとても楽しくて、、、読みたい文献はたくさんあるのに自分のリーディングのスピードが遅くて全てを読むことはできなくてかなり悔しいです〜。でも、効率じゃなくてクォリティーだったり、自分が学んでいく過程を大切に、勉強している目的を見失わないようにしよう、と自分に言い聞かせています!

 

今学期とっているクラスの紹介と、一年かけて書く予定のリサーチペーパーの話を少ししたいと思います。

 

Anthropology of Museum

このクラスはタイトルの通り、ミュージアムの勉強をします。人類学はミュージアムと深い関わりがあるのですが、どちらも植民地時代に人種差別のレンズから生まれ発展したものなのでいかにdecolonize (=非植民地化)していくことができるのか、何をすべきか、すべきではないのか、ということを常に考えながら授業が進んでいます。教授が中華系カナダ人なのでアジアの移民の話などの割合が多く、今まであまり触れる機会が少なかったのですが、改めてアジア人差別の歴史といまだに続いている人種差別の話を聞いたり考えたりするのは苦しくなる時があります。が、知ることがはじめの一歩だと思うのでいつも積極的に参加するようにしています。Participation の割合が大きいので頑張って発言するようにしていますが、いまだにドキドキしながら話しています。。。

Anthropology of Health and Wellbeing

世界中の健康問題を扱う時、シンプルに”病気の問題”として見てしまうことが多いと思うのですが、人類学では病気の問題だけではなく、どうして起こってしまうのか、なぜ改善されないのか、何をしていくべきなのか、ということを科学だけではなく文化的な目線から解決の糸口を探していことの大切さを学んでいます。病に対しての科学的な治療法だけ提案しても、それだけでは根本的な解決にならないことが多いです。その土地の宗教が根深く関わっていたり、慣習によって広まり続ける場合、相手の文化を尊重しながらもどうしたら人々の健康を持続することができるようになるのか、ということを考えています。ファイナルペーパーのトピックに悩んでいるのですが、カナダでは閉経や更年期が病気として扱われているが日本では人生の一部として認識されている、というケーススタディーを教授がクラスで簡単に紹介していて、面白そうだな、、、と思っています。まず、カナダで閉経がどのように扱われているのか具体的に調べてみて、日本と大きな違いが本当にあるのか調べて見たいと思います。教授の話では、カナダでは閉経に抗うためにホルモン治療をするなど言っていたのですが、あまり自分に身近な経験ではなかったのでよく調べてみたいです。

 

Anthropology of Kinship

前セメで男女二元論に反対するマニフェストを書いてから、生物学的なつながりから離れた人間関係や家族関係について勉強したい!と思い始めるようになったので、このクラスがオファーされると決まった時喜びで心臓がバクバクしました笑 リーディングが重くて大変なんですがかなり好きなクラスです。教授が、人類学は真実だと信られている社会規範を疑ってかかる学問だ、と言っていて、本当に!そうだと思います!!!私が人類学を好きな理由って、『普通』だと思われていることを、本当にそうなのかな?と質問を投げかけて、この世に『普通』なんてないんじゃない?と思わせてくれるからです。実際、この世に『普通』で『自然』なんてものはなくて、人間が考えているイデオロジーによって作り出されているんですよね。もちろんサイエンスや生物学は存在しますし論理的に成立していますが、そのサイエンスを生み出しているのも使っているのも、人間なんですよね。そこには必ず人間のバイアスが含まれていて、必ずしも絶対的なものではないと思います。

コースの全体的なテーマは Nature vs Culture なんですけど、natureとcultureは完全い切り離すことはできない、というのをいろんな角度から学んでいます。性別や結婚、養子縁組や体外受精代理出産についてのリーディングを最近はしています。カナダでは代理出産が認められているんですが、養子縁組ではなく代理出産を選んで自分たちの遺伝子を残したいと思うのはなぜなのか、どうして生物学的な関わりにこだわりを持っている人が多いのか、色々考えています。

 

Directed Studies: Asexuality

これは通常のクラスではなくて、gender studies 専攻か副専攻の生徒が取れるのですが、私と私の友達と教授の三人でリーディングや課題について決めてセメスターかけて学んでいくコースです。自分でリーディングしたりコースの内容に沿う範囲だったらアセクシャリティについてのペーパーを書いていたりしたんですけ、去年くらいからもっと専門的に学びたいなと思っていたトピックだったのでこのコースが受けられると聞いたときは嬉しかったです、、、

まだしっかりと決まってないのですがファイナルペーパーではセックスに重きを置かない親密な関係、または結婚について書きたいな〜とぼんやり思っています。恋愛関係や結婚が友人関係より価値のあるものだという社会規範ってどうしてなんだろう、というのを長いこと考えていて、それって政府が婚姻関係を結んだ人たち、子供を産んだ人たちに特定の権利やサポートを与えているというのも一つの理由だと思うんです。政府機関から認められている関係、ということで。そして政府が出産を促進しようとするのは人口が必要だからです。人々が働かないと経済が悪化してしまうので。でも、世界的には人口は増え続けているので移民の受け入れをするだけではなくて、移民の人たちが住みやすいシステムと環境を整える必要があるのですが、日本政府はそこにしっかりとした対策や改善をしていないと思います。また、結婚関係の話に戻りますが、”セックスレス”という言葉あるように、セックスをしないカップルは”うまくいっていない証だ”という風潮がありますが本当にそうなんでしょうか?どうして性欲と恋愛感情が同一視されているんでしょうか?…という感じのアイデアはたくさんあるのですが見ての通り全くまとまっていないので明日オフィスアワーに行って相談してみる予定です。難しいんですけど、楽しみです!

次の春学期に同じasexualityをテーマに人類学部のなかで the directed studies を教授と一対一でする予定なので、そこで人類学的なアプローチで私なりの卒論、または大学院出願できるレベルのペーパーを書けるようにしたいと思っています!もう少し考えがまとまったらブログ書く予定です。

 

Directed Studies: Beauty Standards

こちらは人類学部で取っている directed studies になります!初めは全然ちがうトピックをやる予定だったのですが教授の勧めで美、主に美容整形やボディーイメージについて勉強しています。人類学ではautoethnographyという論文の書き方があるのですが、今回はその手法でファイナルペーパーを書くことに決まりました。

Autoethnography is a form of ethnographic research in which a researcher connects personal experiences to wider cultural, political, and social meanings and understandings.

Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Autoethnography

これはWikipediaの定義ですが、人類文化学での主な手法である調査対象のコミュニティーに実際に住んでみて自分が感じたものや自分の文化的バックグラウンドからの直接・間接的な解釈でそのコミュニティーについて学び記録をすることをエソノグラフィーといい、オートエソノグラフィーは自分の記録を元に先行研究などを照らし合わせ書いていく手法のことです。説明が難しくてすみません…ジェンダー学や人類学ではよく使われている手法です。

私の場合は自分自身の記憶や感情、経験してきたことをもとに、先行研究を読んで解釈や意味を見つけ、意味を見出し、ファイナルペーパーを書いていきます。私はカナダに来てから化粧をほぼしないくなり、外見についてのネガティブな気持ちが減ったな〜と思うようになりました。それは日本で間接的に感じていた美のプレッシャーや社会規範から解放されていることでもあるのですが、それと同時に”日本人留学生”という雑な言葉で言うと部外者である、と言うフィルターがあるのでローカルの人が感じている社会規範を感じていない可能性もあるのだろうなと思います。日本にいた時と比べて女性としての抑圧を感じることは少ないですが、アジア人としての抑圧だったりラベルで見られることに対しての心地の悪さはあったりします( = Racialization)。 日本の美だけでなく西洋からの影響だったり、自分自身が海外に住んでいる経験、マイノリティーの人種として生きる経験、日本との比較など色々な要素を考えながら書いている途中です。

自分はあまり美容に興味がないので、コースの初めは美について考えるのは向いてないんじゃないかとか、楽しめないのではないか、とか考えていたのですが文献を読み込むうちに感じていたけど言語化されていなかった感情たちに触れるようになって、最近はワクワクしながら取り組んでいます!大学にいて何が楽しいかって、今まで自分になかった考え方に出会ったり、感じていたけど言語化できていなかったり、脳みそからアドレナリンが出ているような文献やディスカッションに触れられている時なんですよね。楽しんで学べていること、学べる環境にいることを感謝しながら今学期も頑張りたいと思います :)

 

 

 

 

 

この前友達といい人(nice)じゃなくて優しい人(kind)でありたいよね、という話をしていて、それは私は女としてこの社会で愛想良くいい人であることを求められてきたからであって、でも大学で学ぶようになって、自分はここ2年くらい笑えないジョークやセクハラを笑って受け流すことを意識的にやめよう、と頑張っていたんです。でもかなり難しいんですよね。受け流すことが染み付いていて、それが処世術で、愛想が悪いっていわれるのも怖いし。でもそれが実際にできた時、自分が笑い流さずにNOと言える時、自分自身の優位性も自覚をしていて、だから友達や全ての人に同じことをしろと言うつもりは全くなくて、受け流すしかなかった自分もいたし、受け流すしかない状況にいる友達もいるし、だからこれは自分の話なんですけど。優しさを持ったまま、笑えないものには笑わず、それはいわゆる愛想の良いいい人ではなくなるかもしれないんですけど、でも自分が今まで笑うしかなかったものにNOと言えること、セクハラや悪意のあるジョークを誰が、誰に言ってもNOということでもしかしたら周りの人の荷物が少しだけ軽くなるかもしれないし、昔NOと言えなかった自分の悔しい気持ちも間接的に救っているんだろうな、と話してて思いました。忘れたくないな〜と思ったので残します。

 

 

 

 

 

カナダはだいぶ寒くなってきました!みなさんお元気で :)