日々の記録

カナダの大学で人類学を中心に学んでいます

女性について人類学で学ぶこと

こんにちは。

宗教のクラスのエッセイリサーチが進まないので、諦めてブログを書くことにしました笑 エッセイ書くの基本的には好きなのですが thesis statement が決まるまでのリサーチが、終わりが見えない感じがしてしまいよく辛くなります。期限までに終わらなかったらどうしようという焦りですね。あとは、なん記事読んでも自分のエッセイに使えそうなものが見つからないときに結構な絶望感を味わいます...

 

リーディングウィークも終わり、中間も終わったのですが、大変でした。思うように勉強が進まなくて、体調も少し悪くなってしまい、心が折れかけたのですがなんとか無事全部のテストを終えることができてよかったです。反省点として、今回は(ほぼ毎回ですが)テスト勉強に時間を費やして授業の予習復習が全くできなかったので、次回はそれもできるくらいの時間配分を考えなければいけないなと思っています。テスト前でも授業は進んでいくのですが、そのためのリーディングが全くできなかったので、今苦しんでいます。自業自得です…まぁ、そんなこと言っていてもしょうがないのでコツコツ遅れを取り戻したいと思います。

 

 

Anthropology of Women Cross-culturally

今学期、女性を人類学の面から勉強するクラスをとっています。

女性って歴史の中でも男性と比べると’研究・勉強’されてこなかったんですね。"The studies of women have been marginalized" ってよくいうのですが、例えば1930年代の古い人類学書などを読むと、主語が "people" ではなくて "man" なんですよね。これは、女性が男性と同じレベルで人間として評価されていなかったからです。

 

 

授業のなかで何をきっかけに女性が男性よりも’劣っている’とみなされてきたのか、ということを取り扱いました。というのも、平等主義と言われる社会 (eglitarian societies) では、農業をしないことがほとんどで狩猟生活を行う人々が多いのですが、そういった社会では男女がほとんど平等に扱われています。この平等主義社会の人々は農業をしないのですが、農業の発展が男女格差を生み出したのではないかという説もあります。

 

また、農業革命という言葉を思い浮かべるとき、みなさんが頭の中に思い浮かべるのは男性ですか?女性ですか?私は無意識のうちに男性を思い浮かべてしまいました。自分の中に根付いてしまっている、革命は男性中心に起きる、というバイアスがあるのだと思います。しかし、人類学では農業や土器の発明は女性だったのではないかという説が濃厚です。狩猟生活をするコミュニティーでは男性が狩りをして、女性が木の実などの植物を集めることが多いです。狩りをする女性もいますが、割合として男性の方が基本的には多いです。

 

農業は植物を植えることのトライアンドエラーで始まったと言われているので、植物に一番身近な存在だった女性が農業のきっかけになったのではないかと考えるのは自然なことだと思います。ただ、鉄などで作られている武器などと違って、女性が活躍したであろう分野は考古学的に物的証拠が残りづらいです。植物や食べ物、服の生地など女性が深く関わっていたであろう物は自然に還ってしまうので。

 

また、小さな規模から始まったであろう農業が、技術が発達して農業専用の機械が出てきたときに、女性は使うことを許されないというコミュニティーもたくさんあるようです。そういう場合は、真意はともかく、特別な機械を使えない、または使わせてもらえない女性は、機械を使う能力がある男性よりも弱い立場になってしまいます。

 

これは一つの説ですが、女性にスポットライトを当てて、今まで研究されてこなかった、ないものとされてきた女性たちの存在を勉強しようとすること自体に意味があると教授は言っていました。また、女性の研究が進むことで、研究対象にされづらい子供たちの研究も進むと言われています。私が人類学の好きなところは、包括的に研究することを大切にしているところです。全ての事柄は繋がっていて、どれもないがしろにしてはいけないという考えがあります。勉強することが広すぎる、という問題点もありますが点と点がつながっていく感覚はとても面白いです。

 

 

ちなみに今週からは、生理・月経について人類学の観点から勉強しています。クラスでは、生理っていうことに恥じらいがある人が多いよね、という話をしました。確かに、生理用品を持ってトイレに行く際に隠したりする人が多いと思います。生理中に体調が悪くなったりしても、直接「生理だから」とは言わずに「あれなんだよね」などと濁す人が多いのではないでしょうか?また、生理の話題を出すこと自体ためらいがある人も多いような気がします。それは、私のいるカナダでも同じようです。今まで疑問に思っていなかったとしても、改めて考えてみると不思議だなと思います。私も恥じらいがあります。どうして恥ずかしいと思うんでしょうか。

 

もう一つ不思議なのが、月経が "pollution" と考えられるコミュニティーがたくさんあることです。日本語で検索すると「汚染」と出たのですが、あまりしっくりきませんでした。でも、何か汚いもの、感染するもの、不純なもの、というイメージだと思います。生理中は、本来の家から離れた「小屋」で過ごさなければならなかったり、料理することが許されなかったり、生理後にお浄めをしなければならない人々がたくさんいるようです。

 

神へのお供物として、自分の体を傷つけて血を流すコミュニティーもある(あった)のに、血液が出てくる場所によってその血の清らかさが変わるのが面白いと思います。マヤ文明では "Blood-letting" と呼ばれる、舌など自分の体の一部を刺して血を流し、それを布で集めたものを燃やして神にお供えするという儀式がありました。これは女性も男性も行っていたようです。考えてみると、全てのことは、人間が勝手に作り出した物なんですよね。社会構造主義 (Social constructionism) についてもまたブログを書きたいです。

 

例えば日本では、使う言葉だったり、広告での描写だったり、両親から受けた教育などで生理に対しての考えが変わるのかなと思います。恥ずかしいことだから濁していうのではなくて、濁して言わなければならない、というスティグマから、生理の話題を出すのは恥ずかしいということ、という考えになるのではないかな、なんて思ったりしています。色々考えることがあるので、これからの授業が楽しみです。私はまだこのトッピクのリーディングが終わってないので、週末頑張りたいと思います笑

 

 

 

 

長々と書いてしまいました…理解し、受け止めることが難しいことがたくさん起きている世の中ですが、自分ができることから行動したいと思います。皆さんも体にお気をつけて。